自分の人生で一番得をしたのは、顔立ちが整っていなかったこと。女優の樹木希林さんは、そんな意味のことを、からりと笑うように語っていました。
普通なら隠したくなるようなことを、人生の得として話せる。その人は、いったい人生の何を知っていたのでしょうか。
うまくいかないことがあると、すぐに自分を責めてしまう。人と比べては、落ち込んでしまう。そんな毎日に疲れている人ほど、希林さんの言葉は、不思議と胸に残るのではないでしょうか。
2018年に亡くなった希林さんの言葉を集めた『一切なりゆき 樹木希林のことば』は、発行部数150万部を超え、2019年の年間ベストセラーで1位になりました。
出版元の文藝春秋が「最も心に響いた言葉」を読者に尋ねたところ、1,210通もの回答が集まりました。そこで1位に選ばれたのが、この言葉です。
本には、生前のインタビューなどから選ばれた154の言葉が収められています。その中から、多くの人が同じ一行を選んだのです。
「おごらず、他人と比べず、面白がって、平気に生きればいい」
思い通りにいかない毎日を、それでも面白がって生きられる人がいます。今日は、希林さんの言葉を手がかりに、人生を面白がる人の共通点を見つめていきます。
もちろん、希林さんのように生きるのは簡単ではありません。けれど、その言葉の中には、私たちが明日から少しずつ真似できる、いくつかの共通点が隠れています。
思い通りにならないことを、最初から知っている
読者アンケートで2位に選ばれたのは、こんな言葉でした。「人生なんて自分の思い描いた通りにならなくて当たり前」。
私たちは、どこかで「うまくいくはず」と思いながら生きています。だから、予定が崩れたり、期待が外れたりするたびに、傷ついてしまう。
けれど、思い通りにならないことが当たり前だと思っていれば、思い通りにいかない日も、ただの「いつもの一日」になります。そして、思いがけずうまくいった日は、小さなご褒美になる。
恋愛も、仕事も、家族のことも。人生の大事なことほど、自分ひとりの力では決められません。だからこそ、思い通りにならない前提で生きている人のほうが、結果として、何が起きても落ち着いていられるのです。
あきらめとは違います。期待を手放すのではなく、思い通りにならない人生ごと、引き受けているのです。
旅行の計画が雨でつぶれた日に、「じゃあ、この町の喫茶店を探そう」と切り替えられる人がいます。その人にとって、予定外の出来事は失敗ではなく、別の物語の始まりなのです。
人生を面白がる人は、予定通りにいかないことを、予定に入れている。
比べる物差しを、そっと机に置いている
1位の言葉を選んだ理由として、ある50代の女性は、かつて自分が苦しんだことのほとんどが、他人と比べていたことだったと書いていました。
60代の女性は、年を重ねるにつれて世間の価値観に振り回され、人と比べては、自分の取り柄のなさに落ち込んでいたといいます。
別の50代の女性は、この言葉を手帳に書いて、何度も見直していると綴っていました。一行の言葉が、毎日の心の支えになっているのです。
比べる物差しは、どこにでも転がっています。年収、結婚、子ども、見た目、フォロワーの数。拾い上げるたびに、自分の人生が、誰かの人生より短く見えてしまう。
とくに今は、スマホを開けば、誰かの一番いい瞬間がいくらでも目に入ってきます。比べるつもりがなくても、気づけば比べてしまう。そんな時代だからこそ、この言葉が多くの人の心に刺さったのでしょう。
人生を面白がる人は、その物差しを捨てたわけではありません。ただ、持ち歩かないのです。必要なときだけ使って、あとはそっと机の上に置いておく。
たとえば、友人の幸せな報告を聞いたとき。比べる物差しを持っていると、「それに比べて私は」と心が沈みます。でも物差しを置いていれば、ただ「よかったね」と言える。その一言を言えたとき、自分の心も、少し軽くなっているはずです。
他人と比べなくなると、自分の人生にしかない面白さが、少しずつ見えてくるのです。
比べるのをやめたとき、人生は誰かの採点表ではなくなる。
欠点さえ、笑える話に変えられる
冒頭で紹介した、顔立ちが整っていなかったことが一番の得だったという言葉は、アンケートで3位に入っていました。
欠点を隠そうとすると、人はいつもどこかで身構えて生きることになります。けれど、自分から笑って話せる欠点は、もう誰にも攻撃されません。
コンプレックスを必死に隠している人ほど、そこに触れられることを恐れて、いつも少し緊張しています。反対に、自分から「私、ここが苦手でさ」と笑える人の前では、周りの人まで肩の力が抜けていきます。
希林さんは、整った顔ではなかったからこそ、ほかの誰にもできない役を演じられたのかもしれません。欠点は、見方を変えれば、その人だけの持ち味にもなるのです。
自分の弱さを知っている人は、他人の弱さにも優しくなれます。完璧に見せようとする人より、欠点を笑って見せてくれる人のそばに、人は集まってくるものです。
もちろん、すべての弱さを無理に笑う必要はありません。ただ、「これも私」と受け入れられた欠点は、少しずつ、人生の面白い話に変わっていきます。
笑って話せる欠点は、もうあなたを傷つけない。
「人生、上等」と、今を認めている
希林さんの言葉には、今の自分の人生を「これで十分」と認める言葉が、たびたび出てきます。うまくいったときは人生上出来だと思い、うまくいかなければ自分が未熟だったと思ってそれでおしまいにする、という趣旨の言葉もありました。
人生を面白がれない人の多くは、「本当の人生はまだ始まっていない」と思っています。もっと痩せたら、もっと稼げたら、恋人ができたら、そのときこそ幸せになれる、と。
でも、条件がそろった人生だけが本物で、今の人生は仮の姿、ということはありません。今日あなたが過ごした一日も、まぎれもなく、あなたの人生の大切な一日です。
けれど、その「いつか」は、待っていてもなかなかやってきません。今の人生を仮の姿だと思っているうちは、今日の面白さに気づけないのです。
スピリチュアルな世界では、「今ここ」に意識を向けることが、心を満たす一番の近道だと言われます。過去を悔やむのでも、未来を案じるのでもなく、目の前の一日を、そのまま味わうこと。
朝のコーヒーがおいしかった。帰り道の空がきれいだった。そんな小さなことに気づける人は、特別なことが何も起きない日にも、ちゃんと面白さを見つけています。
今の人生を「上等」と言える人にだけ、今日の面白さは見えてくる。
持たない、執着しない
希林さんは、モノを持たない、買わないという暮らしを大切にしていたことでも知られています。そして、欲や執着があると、それが弱みになり、人につけこまれやすくなる、という意味のことも語っていました。
持ち物が増えるほど、失うことが怖くなります。地位も、評判も、人間関係も同じです。握りしめているものが多いほど、人生の思いがけない展開を、楽しむ余裕がなくなっていく。
反対に、手放すものが多い人ほど、身軽です。誰かに何を言われても、何かを失っても、「まあ、なりゆきね」と受け止められる。その身軽さが、人生の予想外を面白がる余裕を生んでいるのです。
本のタイトルにもなった「一切なりゆき」という言葉には、流れに身を任せる、という響きがあります。手放すことは、投げやりになることではありません。流れてくるものを、そのまま受け取れる手のひらを空けておくことです。
なりゆきに任せるというと、何もしないことのように聞こえるかもしれません。でも、やれることはやったうえで、結果は流れに任せる。そう決めた人だけが持てる、静かな強さがあります。
魂の世界でも、手放した分だけ、新しいものが入ってくると言われます。何も持っていない手のひらには、どんな出来事も、面白い贈り物として載せることができるのです。
握りしめる手より、ひらいた手のほうが、人生を多く受け取れる。
年を重ねることを、面白がっている
希林さんは、若さを保とうとする「アンチエイジング」という考え方にも、どうかと思う、という意味の言葉を残しています。
年を重ねると、できなくなることが増えていきます。体力も、記憶力も、見た目も、少しずつ変わっていく。多くの人は、その変化を「失っていくこと」として嘆きます。
鏡を見るたびにため息をついたり、昔の写真と今の自分を比べてしまったり。年齢の変化は、いつの間にか、自分を責める材料になってしまうことがあります。
けれど人生を面白がる人は、その変化さえも、新しい自分との出会いとして眺めています。「へえ、こんなふうになるんだ」と、自分の変化を観察するように。
若い頃の自分に戻ろうとするのではなく、今の年齢の自分を、今の年齢のまま楽しむ。それは、どんな若返りの方法よりも、その人を生き生きと見せるのかもしれません。
年齢を重ねるほど、人生はもっと面白い章に入っていく。
一度ダメになった人を、面白がれる
希林さんの言葉には、人間でも一回ダメになった人が好きだ、という意味のものもあります。
失敗したことのない人より、一度つまずいて、そこから立ち上がってきた人のほうが、人としての味わいがある。そう考えていたのでしょう。
人生を面白がる人は、自分の失敗にも、他人の失敗にも、どこか寛容です。ダメになった時期を、人生の汚点ではなく、物語の大事な一章として眺めているからです。
失敗した人を笑う人は、自分が失敗したときも、自分を笑えなくなります。反対に、誰かの失敗を「それも人生ね」と受け止められる人は、自分のつまずきも、同じやさしさで受け止められるのです。
今、うまくいかない時期の中にいる人もいるかもしれません。でも、その時期があったからこそ、あなたの人生は、誰にも真似できない深みを持ち始めているのです。
あとから振り返ったとき、いちばん人に話したくなるのは、きっと順調だった日々ではなく、うまくいかなかった時期のことです。
一度ダメになった経験は、人生という物語の、いちばん面白い章になる。
面白がるのは、強さではなく選び方
人生を面白がる人を見ると、生まれつき明るい人や、強い人のように思えるかもしれません。でも、希林さんの言葉を読んでいくと、それは性格というより、物事の受け取り方を選んでいるのだと分かります。
思い通りにいかない日に、「なんで私ばっかり」と思うこともできる。「へえ、こんな日もあるんだ」と思うこともできる。起きた出来事は同じでも、どちらを選ぶかで、その日の色はまったく変わります。
面白がることは、つらさをなかったことにすることではありません。つらいものはつらいと認めたうえで、その中にも何か一つ、面白いところを探してみる。その小さな選び方の積み重ねが、人生の手ざわりを変えていくのです。
最後に、今夜できることをひとつだけ。今日うまくいかなかったことを一つ思い出して、そのあとに「それも、まあ面白い」と心の中で付け足してみてください。
すぐには笑えなくても大丈夫です。付け足すことを続けていくうちに、少しずつ、出来事との距離が変わっていきます。
たとえば、「電車に乗り遅れた。でも、おかげで駅のホームで夕焼けを見られた」。そんなふうに、出来事の横に、小さな面白さを一つ書き足していく。それが、人生を面白がる練習になります。
おごらず、比べず、面白がって、平気に。その言葉は、特別な人のためのものではなく、思い通りにならない毎日を生きる、私たち一人ひとりへの、やさしい手紙なのかもしれません。

